パスカル 理念
パスカル 理念

入学試験に数学がなかったとしたら、あなたは数学の勉強をするのでしょうか?

  入試科目に数学がなかったとしたら、あなたは数学の勉強をするでしょうか? 学校の授業範囲は勉強する。入試科目でなければ全く勉強しない。学校で習う内容にはこだわらず勉強する。いろいろな答えがありそうですが、あなたにとって必要な数学とはどんなものなのでしょうか?
  時代とともに求められる能力も変わるものですが、昔から「読み・書き・そろばん」と唱えられるように、言葉と数を扱う能力は生活に密着したものです。
  ここで、数学教育で習得していく2つの力のバランスを考えてみましょう。「全体を見通して、何をどう処理・計算すればよいのかを考える力」と、「ひとつひとつの処理・計算をすばやく正確に行う力」、この2つの力は問題を解決するための車の両輪のようなものかもしれませんが、現代においてはコンピュータ等の道具の

人間は考える葦である。 Blaise Pasacal

  パスカルという名前を聞いて何を思い浮かべるでしょうか? ある人は「人間は考える葦である」という格言を思い浮かべるでしょう。またある人は、物理のパスカルの法則や初等幾何学でのパスカルの定理を思い浮かべるでしょう。このほかにも哲学書「パンセ」を著すなど、パスカルは多方面に渡って才能を発揮した人です。
  現在、文系・理系のように才能を分類するようになってしまいましたが、かつて学問には垣根などなく才能を伸ばしてゆけたのです。
  私たちは中学・高校生を対象に様々な垣根にとらわれることのない「知的で自由な教育の場をつくろう」という願いをこめてPASCALを創始しました。
  また、パスカルは Personal Approach to Satisfying Cultural and Active Life の頭文字をとり、来るべき 時代のベクトルも示しています。

水槽は堪え、泉は湧き出す。 William Blake

  最近、日本でも子どもたちの理系離れが指摘されています。「貧しくて頑張るしかない時代には数学や理科を勉強して独創的な産業を興すしかないが、社会が豊かになると、その努力がおろそかになる」という見方もありますが、資源が少なく科学技術によって立つしかない日本で、最も独創性を発揮しやすい理数系分野から子どもたちが離れていくことは、致命的な問題ではないでしょうか。
  教師や保護者の多くが「いま勉強しなければ後で大変なことになる」と言って勉強を強要し、学校や塾は入試での合格を目標とするあまり「暗記中心型」の勉強を押しつけています。その結果、子どもたちは勉強に束縛され、本来あるべき学問の面白さを感じることができないのです。
  子どもたちの頭に知識だけを次々と注入しても、“水槽”の中の水のように、時とともにいずれは蒸発してしまいます。教育(特に理数系)の主眼は、私たちの周りで起こる自然現象や社会現象を通してアイデアが次々と湧き出てくるような“泉”を子どもたちの頭の中から掘り起こすことだと考えます。

好奇心は、それ自体に存在理由があります。 Albert Einstein

  塾というと受験テクニックを身につける場、学校のテストの点数を上げるためのもの、という価値観が今でも大半です。しかしパスカルは創始以来、“知的で自由な教育の場”を標榜し、新しい数学・英語教育を実践してきました。
  日本のスタンダードではなく、世界で通用する力を身につけることが必要な時代です。これは、公式にあてはめて問題を速く解く練習や英単語の丸暗記で養われるものではありません。現実の問題に対して論理的に思考したり、数学そのものを適用したりする能力、外国語(英語)で受信・発信できる能力を身につけることこそ必要です。
  受験勉強自体が目的となったり、受験のために知識をただ淡々と覚えこんだりすることは、たとえ試験で高得点をとることができたとしても虚しいものです。しかし、本物の勉強は豊かな実りをもたらしてくれます。じっくりと考え「積分ってそういう意味か!」とか「mustはこんなふうに使えるんだ!」と感動したり、「パスカルの三角形」の美しさや「無理数が存在する」不思議さを感じたりすることこそ、人間だけに与えられた醍醐味ではないでしょうか。そのような「発見に感動する」こと、「原理を理解する」ことと、「失敗から学ぶ」時間的なゆとりこそが本物の教育に必要なものだと考えます。
  パスカルの教育法は基礎や原理を重視するので、遠回りや無駄が多いと感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、学問の出発点にあるべき「好奇心」は基礎や原理を理解できたときの「感動」から生まれるものだと私たちは信じています。